[研究]アルゴンの三重点温度近傍における比較校正のための実用形クライオスタッ卜の開発
Development of a Practical Cryostat for Comparison Calibration at a Temperature close to the Temperature of the Triple Point of Argon
小平和明(・標準部)
K.Kodaira
The temperature scae over the sub-range of 83.8058K to 273.16K is defined by calibrating a standard platinum resistance thermometer(SPRT)at the triple point of argon,mercury and water in International Temperature Scale of 1990. For the triplepoint of argon, a comparison measurement using a boiling point of a cryogen such as liquid nitrogen, argon and oxygen is typicaly substituted.
A new cryostat for low-temperatures measurement was developed. It enables to calibrate SPRTs at a temperature close to the triple point temperature of argon by using aboiling point of a cryogen with high stability.The structure of the cryostat is devised to prevent heat flux from the outside. Furthermore,it is posibl e to regulate the temperature by controling pressure in the cryostat to bring a measurement temperature close to the triple point temperature of argon.
1.はじめに
近年,低温技術が広範囲にわたり応用されるようになり,産業の発展に深く関わってきている.冷凍機の高性能化,低価格化により大学や各種研究機関あるいは企業の研究所において,容易に低温環境が実現できるようになり,今後更なる応用技術の発展が期待できる.低温領域の中でも0℃(273.15K)から200℃(73.15K)にわたる温度領域での冷却技術は,高温超伝導を応用した電力輸送や通信用フィルタなどの研究には欠かせないものであり,また,バイオテクノロジー関連では,試料の保存などに用いられている.更に,食料品の保存や液化天然ガスの貯蔵・運搬などに用いられるなど日常生活において身近なものも多い.このような分野においては,温度管理や信頼性が非常に重要であり,それに用いられる温度計の校正もまた重要になってくる.
1990年国際温度目盛において,83.8058Kから273.16Kまでの領域の温度目盛を決定する場合,水の三重点(273.16K),水銀の三重点(234.3156K),及びアルゴンの三重点(83.8058K)を用いて白金抵抗温度計(SPRT)を校正する(1),(2).
水の三重点及び水銀の三重点については,実現装置がいくつかのメーカーから市販されており,その実現(3)も比較的容易であることから広く普及している.アルゴンの三重点については,その実現の方法や,装置に関する研究(4)~(7)が広く行われている.また,実際に実現装置も市販されており,更に装置の自作も可能であるが,定点の実現には相応の技術やコストを要するため広く普及しているとは言えない.
一方,アルゴンの三重点の代わりに液体窒素や液体アルゴン,液体酸素などの寒剤の沸点を用いた比較校正が広く用いられている.寒剤を用いた比較校正の場合,デュワー瓶に均熱ブロックを沈め,そこに寒剤を注入し,大気に解放した状態で標準用温度計と被試験温度計とを比較する方法が一般的であり,比較校正用の装置も実際に市販されている.しかし,沸点の測定は周囲の影響を受けやすいため,安定して測定することが非常に難しく,結果として不確かさが大きくなってしまう.低温研究などに用いられるような技術(8)~(l0)を応用し,適切な熱対策を施せば,安定した測定を行うことは難しくないが,装置自体が複雑で大がかりになることや,また運用コストもかかるため日常的な校正業務に用いるにはあまり現実的とは言えない.そこで今回,液体窒素などの寒剤を用いてアルゴンの三重点温度近傍における比較校正を容易に行うことができ,かつ高い安定性を有する実用的な低温測定用のクライオスタットを開発した.本論文は,その装置の概要を報告するものである.
2.クライオスタット
本クライオスタットは,寒剤の沸点を用いて測定を行うためのものであるが,沸点そのものの温度を測定するものではなく,予め校正されたSPRTを標準として比較校正を行うためのものである.また,本クライオスタットによる測定対象はロングステム型SPRTとなっている.
一般に,液体窒素や液体酸素などの沸点において測定を行う場合,デュワー瓶に均熱ブロックを入れ,そこに寒剤を注入して均熱ブロックと熱接触させることにより冷却し,その均熱ブロックに温度計を挿入して測定を行う方法が用いられる.しかしこの方法の場合,デュワー瓶の上部や温度計のシースなどからの熱流入などにより温度が安定しないため,測定のばらつきが大きくなる.したがって,精密測定を行う場合,低温部に外部の熱が流入しないように外界と断熱するなどの熱対策が必要である.そこで,本クライオスタットに使用する材料の熱伝導率や熱容量などを考慮し,クライオスタットの外部から内部への熱流入を低減させるなど,外部熱の影響を少なくするよう設計を行った.本クライオスタットの基本構成はデュワー瓶に均熱ブロックをつるし,温度計ウェルを取り付けたものであるが,外部からの熱的影響を抑えるような構造になっている.また,このクライオスタットは,大きく分けるとデュワーとデュワーキャップの二つの部分で構成されている.第1図にクライオスタットの概略図を示す.
2.1 デュワー
デュワー瓶は寒剤を保持するための容器であるが,その材質により,ガラスデュワー,ステンレスデュワー及びプラスチックデュワーなどに分類される.通常,ガラスデュワーはガラスを通しての熱ふく射を防ぐため,内壁に銀めっきが施されており,真空漏れの心配はないが破損しやすいという欠点がある.強度や真空度を考えると,ステンレスデュワーが優れているが,製造技術とコストを要してしまう.プラスチックデュワーも性能的には優れているが,現時点ではまだコストの面で一般的とはいえないと思われる.本クライオスタットには製造コストを考えガラスデュワーを用いているが,液体窒素の温度以下での使用は考えていないため,性能的には十分であると判断した.
今回開発したクライオスタットのデュワー部分は,フランジ付きのステンレス容器の中にガラスデュワーを設置したものである.外部からの熱がステンレス容器を通し,直接ガラスデュワーに伝わるのを防ぐため,ガラスデュワーの周囲には断熱材が貼り付けられている.また,この断熱材は緩衝材の役割も兼ねており,外部からの衝撃によるガラスデュワーの破損を防ぐ目的もある.更に,デュワー内にはふく射熱を防ぐために,均熱ブロックを設置したときにその周囲を覆うようにふく射シールドが設置される.第2図にデュワーの構造を示す.
このデュワーに液体窒素を注入し,デュワー上部を開放したまま室温に放置した場合,デュワー内の液体窒素が初めの量と比べ半減するまでに要した時間は約15時間であった.これは,温度計の比較校正に使用する目的での保持能力としては十分であると思われる.なお,本デュワー瓶の容量は約4リットルである.
第1図 クライオスタット Fig.1 Schematic view of the cryostat
a:ステンレス容器,b:ガラスデュワー,
c:断熱材兼緩衝材,d:ふく射シールドa:Stainless-steel vessel,b:Glass dewar
c:Thermal insulator and cushion,d:Radiation shield
第2図 デュワー Fig.2 Dewar
2.2 デュワーキャップ
デュワーキャップは,前述したデュワーの上部に設置するもので,フランジがついておりボルトによりステンレス容器に固定される.このデュワーキャップには,均熱ブロックをつるすための支持棒や温度計を挿入するためのステンレスチューブが中央付近に配置され,それらを取り巻くように圧力制御用のバルブや圧力計につながるチューブなどが取り付けられている.また,クライオスタットの稼働中は内部を見ることができず寒剤の量を確認できない.そこでデュワーキャップ下部には,液面検出用のセンサが取り付けられている.
支持棒には無酸素銅製の均熱ブロック及びクライオスタット上部からのふく射熱を防ぐためのふく射シールドが取り付けられている.このふく射シールドは,熱アンカーも兼ねており,支持棒を伝わる熱流入を低減させる.均熱ブロックには三つの測温孔が設けられており,そこに温度計ウェルとしてステンレス製のチューブが取り付けられている.第3図にデュワーキャップの構造を示す.ここで,物質における熱の移動を考えた場合,熱は温度の高いほうから低い方へ伝わり,物質を流れる熱量Qは次式で表すことができる.
Q=KSΔT/Δx (1)式
ただし,Kは物質の熱伝導率,Sは物質の断面積,ΔTは温度勾配,及びΔTは熱の移動距離である.実際は周囲温度との差による熱の流れがあるので物質を流れる熱量は(1)式のとおりにはならないが,(1)式においてKとSを小さくすればQが小さくなることがわかる.実際の使用状態においては,温度計ウェルの室温に曝されている部分からの流入熱の影響が大きいと考えられることから,温度計ウェルに使用する材質はできるだけ熱伝導率が小さくかつ薄いものを用いた.更に,この温度計ウェルは,液体に浸かる部分にいくつかの細かいフィンを付けて液体との熱接触を良くし,ウェルを伝わる流入熱の影響を小さくする構造になっている(第4図参照).
フィンを付けることによって,(1)式におけるSが大きくなると考えられるが,この部分が液体中にあり十分に冷却されていれば,熱容量が大きいため流入熱を抑えることができ,熱アンカーを設置する余裕がない場所には有効な方法である.なお,液面が下がりフィンが気中にさらされると流入熱が増え温度が不安定になるが,通常は液面がフィンの位置まで低下する前に測定が完了するため問題はない.
2.3 圧力制御機構
本クライオスタットは内部の圧力を自由に変えられるような機構を設けている.一般に沸点の温度といえば標準大気圧(101.325kPa)での温度(11)となるが,前述したように,沸点そのものの温度を測定するわけではなく,任意の圧力下の温度において測定が行われる.そしてこのクライオスタットは,圧力を変化させることにより,多少の温度調節が可能となっている.圧力を上げる場合は,外部からガスを用いて加圧するだけでよいため容易に実現でき,また圧力は比較的安定に維持できる.負圧にする場合,通常であれば減圧ポンプを用いるが,その場合,装置が大掛かりになりコストもかかる.そこで,第5図に示す簡単な負圧発生器を製作した.これは,市販のT字コネクタを改造したもので,コネクタをディフユーザとして用い,ノズルを取り付けたものである.これをクライオスタットに取り付け,図に示すように外部からノズルにガスを流すことによりクライオスタット内を負圧にすることができる.この場合,フローさせるガスが必要になるが,容易に減圧でき設置スペースもとらないメリットがある.
a:バルブ類,b:液面センサ,c:温度計ウェル,
d:ふく射シールド兼熱アンカー,e:均熱ブロック
a:Valves,b:Liquid level gauge,c:Thermometer well,d:Radiation shield and thermal anchor,e:Thermal equalizing block.
第3図デュワーキャップ Fig.3 Dewar cap
第4図温度計ウェルの断面図 Fig.4 Section view of Thermometer well
a:ディフユーザ,b:ノズル,c:ガスの流れa:Difuser,b:Nozle,c:Flow of gas.
第5図負圧発生器 Fig.5 Negative presure generator
3.操作方法
液体窒素を用いた場合の本クライオスタットの操作方法を以下に示す.
始めに,デユワーキャップに取り付けられた均熱ブロックの位置を温度計の長さに合わせて調節し,デユワーキャップをデユワーに取付けボルトで固定する.次に,液体窒素及び窒素ガス供給用のチユーブを取り付け,標準用のSPRTと被試験温度計を所定の場所に設置し,窒素ガスで温度計ウェル及びクライオスタット内をパージする.その後,液面検出装置のLEDが消えるまで,液体窒素を注入する.標準用のSPRTをモニタし,クライオスタット内の温度が安定したことを確認した後測定を開始する.また,前述したように本クライオスタットは内部の圧力を変えることができ,これにより多少の温度調節が可能となっている.排気バルブを完全に閉めた状態で,クライオスタット内を加圧することにより,通常の液体窒素の沸点温度よりも高い温度が実現できる.また,前述の負圧発生器を使ってクライオスタット内の圧力を負圧にすることにより,沸点温度よりも低い温度が実現できる.通常,アルゴンの三重点温度に比べ液体窒素の沸点温度は約6K低く,また,液体酸素の沸点温度については約6K高い.しかし,圧力を変化させることにより,これらの沸点温度をアルゴンの三重点温度に近づけて測定を行うことが可能となる.
4.実験結果
4.1 温度変化
液体窒素を用いて本クライオスタット内における温度変化を測定した.測定は,液体窒素を注入後1時間経過してから行った.第6図に結果を示す.図の横軸は経過時間,縦軸はSPRTと標準抵抗との比を表している.図よりa,b,cにおいて温度が大きく変化していることがわかる.これはクライオスタットの構造によるものと思われる.クライオスタット内の液面は時間とともに下がっていくが,このとき液面が第7図に示すa,b,cの位置にあるときに第6図に示すa,b,cのような温度変化を示しているのではないかと推測される.つまり,a,bについては,液体窒素の液面が下がる過程において,ふく射シールド(兼熱アンカー)が液中から気中に移行するときの変化であり,cについては均熱ブロックが液中から気中に移行するときの変化であると考えられる.しかしながら実際の測定は,液面が第7図に示すaの部分に到達する前に行うため,これらの温度変化による影響はないと考えられる.
時間〔h〕
第6図温度変化 Fig.6 Temperature changes (Remarkable temperature changes are observed at a,b and c.)
第7図液面の位置 Fig.7 Liquid level (It is surmised that temperature changes are caused in fig.6 when liquid level move to a,b or c.)
4.2 温度安定性
液体窒素を用いて本クライオスタットにおける温度の安定性を評価した.測定は,液体窒素を注入後l時間経過してから行った.
始めに,デュワーキャップを付けずに均熱ブロックをデュワー内につるし,液体窒素を注入して大気に開放した状態で測定を行った.温度の安定性を第8図に示す.図は,SPRTと標準抵抗との比の時間変化を表しているが,多少の温度勾配があることがわかる.一般に,前述したような寒剤の沸点測定中は温度が下がり続ける傾向がある.これは,潜熱の影響が大きいのではないかと思われるが,今回の結果も同様であり,測定終了後もしばらくは温度が下降していた.
次に,デュワーキャップを取り付け,全てのバルブを開放した状態で測定を行った結果を第9図に示す.図からデュワーキャップなしの状態に比べると,温度が安定していることがわかる.この結果からデュワーキャップが有効に機能していることがわかる.また,この図からはわからないが,デュワーキャップなしの場合と同様に,温度は若干の傾きをもって下降し続けていた.
更に,クライオスタットの内圧を上げた状態で温度の安定性を評価した.第10図にその結果を示す.クライオスタット内の圧力は,標準大気圧に比べ約 30kPaほど高めに設定した.通常,圧力が上がると沸点温度も上昇するが,図に示すように,本実験でも温度が高くなっていることがわかる.
時間〔min〕
第8図デュワーキャップを付けないときの安定性 Fig.8 Temperature stability without dewar cap
時間〔min〕
第9図デュワーキャップを付けたときの安定性 Fig.9 Temperature stability with dewar cap
時間〔min〕
第10図加圧したときの温度安定性 Fig.10 Temperature stability under pressure
4.3 温度分布
通常,温度計の感温部付近に温度分布があると熱流が生じ,測定誤差の原因となる.そこで均熱ブロック内の温度分布を測定した.温度計を均熱ブロックのウェルの底から数ミリ浮かした状態を0mm(d=0)とし,順に温度計を10mmずつ100mmまで引き上げて測定を行った.第11図に0mmから40mmまでの温度分布を示すが,その温度分布が0.5mK以内に収まっていることがわかる.市販されているSPRTの感温部の大半が40mm程度の長さであることから,この実験により得られた温度分布による影響はないと言ってよい.しかし現実には,均熱ブロック内の温度分布よりも,室温にさらされている部分からの熱流による影響の方が大きいため,温度分布だけではなく温度計の挿入長にも注意する必要がある.なお,この測定はデュワーキャップを装着した状態で行ったものである.
d〔mm〕
第11図 均熱ブロック内の温度分布 Fig.11 Temperature distribution in the thermal equalizing block
5.結論
今回,アルゴンの三重点温度近傍における比較校正用のクライオスタットを開発した.このクライオスタットは特殊な技術を用いていないにもかかわらず,1mKの安定度で比較校正を行うことが可能となった.また,取扱いについても特別な操作を必要としないため非常に実用的な装置であるといえる.今回は,ロングステム型SPRTを対象に開発したが,デュワーキャップに取り付ける均熱ブロックや温度計ウェルなどの形状を変更することによりカプセル型SPRTにも対応できる.本論文では報告するには至らなかったが,カプセル型SPRT用の装置も試作中であり,最終的には温度計の形状によらずに測定が可能になる.
参考文献
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( 7) 棲井弘久:“GM 型冷凍機を用いたアルゴンの三重点の実現”,計測白動制御学会論文集, Vol.35,No.4,pp.444-446(1999)
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(11) A CONCISE DICTIONARY OF PHYSICS Second Edition,Oxford University Pres (1990)
(平成 15年 11月 12日受付)
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